里人 No.16 小林 傑さん

挑戦すること
楽しみながら続けること

小林 傑さん

塾の先生、マグロの選別会社、そしてスキーにゴルフ…
塾を運営しながらも多くのことに挑戦し
自らの力で前に進んできた小林さんは
現代の働き方の先駆けのよう

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『小林塾』の始まり

元高校球児だった小林さん。

高校卒業後、社会人野球枠で広島の『三菱重工広島造船所』に入社した。

しかし、入社3年後に肘の怪我がきっかけで野球を辞めることになってしまった。

外国船を作る会社であったことから、周りに外国人が多く、入社してから野球と並行して英語の勉強もしていた小林さんは、怪我後継続して会社で働きながら、より英語に興味を持つようになり〝英語の先生になる〟という夢を持つようになった。

その後会社を辞め、鳥取に戻って別の仕事をしながらラジオの大学講座で独学で勉強し、3度の入試挑戦を経て23歳の時についに明治学院大学に入学した。

大学卒業とともに無事に中高の教員免許を取得して南部町に戻ってきた小林さんだったが、当時残念ながら教員採用が無く会社勤めをしていたそうだ。

そんなある時、知り合いの喫茶店の主人に頼まれて、そこの娘さんに勉強を教え始め、その娘さんが受験に受かったことで、この喫茶店の方が塾を建ててくれたのが本格的に塾を始めるきっかけになったのだそうだ。それが日吉津で始まった『日吉津ゼミ』だ。

そしてその後南部町でも『小林塾』という名前で塾をスタートさせた小林さんは、40年以上に渡り、日吉津と南部町の2箇所で中学生の英語・数学・社会を中心に5科目を1人で教えていたという。

 

仕事も趣味も全力で

塾は現在はやっておらず、最近もっぱら忙しいのがマグロの仕事。小林さんは境港でマグロを選別する会社の社長代行もしているのだそうだ。

日本海で獲れたマグロの殆どが水揚げされる境港で、処理工程が多く、人員も必要なマグロの水揚げを担う会社は繁忙期はもちろん多忙だ。

しかし、塾やマグロ以外にも『大山ホワイトリゾートスノースクール』の豪円山エリアの指導代表者でもあるという小林さん。

このスキースクールは、全日本スキー連盟公認のスクールで、大山のスキー場の各エリア(豪円山・中の原・国際)にある。

小林さんは、元々スキースクールの無かった豪円山エリアに、40年ほど前にスクールを年を立ち上げたメンバーの1人。現在も現役で、毎年1・2月は毎日大山に行くし、なんと数年前にはスキーをしにニュージーランドに行かれたというほど本格的だ。

多忙のピーク時は、朝は境港に魚の選別に出かけ、昼からスキー教室で大山へ登り、夜は塾で勉強を教えるというハードスケジュールをこなしていた頃もあったという小林さん。

他にもゴルフで県予選に選手として出場されていた時期もあったなど、本当にエネルギッシュ。

会社勤めが主流であったであろう時代に、自営業で趣味も楽しむ生き方は、まさに現代の働き方の先駆けのようだ。

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